デス・オーバチュア
第66話「死の女神」



そこは美しい花畑。
フローラの秘密の花園。
可憐な花々の中心に、一人の女性が眠っている。
漆黒の長い髪に、黒い法衣、タナトス・デッド・ハイオールドの亡骸だった。
フローラはタナトスの亡骸の横に座り込んで花輪を作っている。
タナトスが亡くなっていることを理解できているのか、いないのか、フローラは泣いてるわけでもなく、いつも通りの無邪気な笑顔だった。
昼寝している姉の隣で、一人遊んでいるといった風である。
昼寝といっても空は黄昏を迎えていたが……。
「♪〜♪〜♪〜」
歌というより音、綺麗な音色がフローラの喉から漏れ出していた。
足音。
フローラの歌だけが支配する空間に生まれた異音。
「♪……あっ……」
異音の正体を目視し、フローラは歌うのをやめた。
フローラは一瞬、予想外のものを見つけたようにキョトンとした表情を浮かべたが、徐々に満面の笑顔を浮かべていく。
それは普段のフローラの無邪気な笑顔とも少し違った、心の底から嬉しそうな笑顔だった。



辿り着けない。
二つの想いの強き場所。
それは始まりの刻。
一つはタナトス・デッド・ハイオールドという生命の始まった時、もう一つはあの男と出会った時……今の人格、立場、境遇のタナトスが生まれた時と言っても良い瞬間だった。
その二つの瞬間になら簡単に跳べる。
だけど、戻りたい時間、本来自分が存在しているべき時代にだけは辿り着くことができなかった。

今、自分が存在する場所は『境』だ。
時間の境、空間の境、いつでもない時、どこでもない場所、それは同時に、いつでもある時、どこでもある場所でもある。
タナトスはリセットと共にそんな場所を彷徨い続けていた。


『Ain Suph Aur』
意味の分からない声と共に光が生まれた。
タナトスはその光に吸い寄せられる。
覚えのあるような気がする声と光だった。
だが、これは親しい者のものではない。
これはとてもとても縁の遠い者のものだ。
それでいて、決して途切れることのない確かな縁でもある気がする。
愛憎の縁でも、前世の縁とも違う……とてつもなく単純で絶対的な縁……これは……。
血の……縁……だ。



「挨拶一つせずに行かれるのかしら?」
花畑へ至る草道を歩いていたリンネは足を止めると、すれ違っていく男に話しかけた。
「用は済んだからな」
奇妙な銀糸の刺繍のされた黒いコートを羽織った銀髪の男は振り返ることも足を止めることもなく、独り言のように答える。
「最初の予定……歴史ではあなたがここに来る事実もなかったのに……だいぶ『過程』には狂いが生じました……寄り道づきな魂にも困ったもの……そう思いません?」
リンネは古びた書物のページを開きながら、遠ざかっていく男に尋ねる。
「過程に意味はない。大切なのは結果を出せるかどうか……それが全てだ」
「ふふ……シビアなお考えですわね」
「生憎と矮小なる人の身だ。結果を出さない行為に時を費やす余裕はない。時を潰す方に悩む人外の貴様らと違ってな」
「ふふ……私が何なのか一目でお解りになりますの? 流石は偽神とも呼ばれる御方……」
「弄ぶのは時だけにしておくんだな、古き古き……もっとも古き女神よ」
その言葉を最後に男の姿は草原の中に消えていった。
「ふふ……あなたは一つ勘違いをされていらっしゃる」
リンネは涼やかに笑いながら、再び草道を歩みだす。
「時とは、歴史とは人が生み出すもの。多くの人の行動と思惑の結果が歴史という名の過去の時間。ゆえに、時を弄ぶとは多くの人の運命を弄ぶことと同じことなのよ」
誰に聞かせるでもなくそう呟くと、リンネは花畑への歩みを早めた。



「ジャスト、予定通りの時間ですね」
リンネが花畑に到着したのとまったく同時にその現象は始まった。
タナトスの亡骸の側の花達が物凄い速さで次々に枯れ果てていく。
それと引き替えに、タナトスの顔に赤みが、生気が戻っていった。
やがって全ての花が枯れ果てた頃。
「…………ここは?」
タナトスは目覚め……あっさりと生き返った。



「お姉様〜っ!」
生き返ったタナトスを出迎えたのは、妹のフローラの抱きつきと、自らが起こした怪現象だった。
「……そこの明らかにただの人間じゃない存在……説明してもらえるか?」
タナトスは、遠巻きに自分を見ていた青紫の髪の女に尋ねる。
彼女には見覚えがある……確か、フェントムの七国侵攻の始まる直前に出会った女性だ。
そして、タナトスが魂殺鎌の力を解放する決断をするきっかけになった助言をくれた存在。
だが、タナトスはまだ彼女の名前すら知らなかった。
「デッドとライブよ」
青紫の髪の女は近づいてきながら呟く。
「……何?」
「また名乗り損なうといけないから、まず名乗っておきますわね。私はリンネ・インフィニティ……今後ともよろしくね、可愛い死神さん」
「……私はタナトス・デッド・ハイオールドだ」
名乗られたら名乗り返す、それを最低限の礼儀だと思っているタナトスは、相手に不信感を抱いていたが、しっかりと名乗った。
「知ってますわ。私はあなたがルーファスと呼ぶ存在に縁深き者ですもの」
「ルーファスの……魔族か?」
「ふふ……残念賞。逆ですわ、こう見えても神様の端くれですのよ」
「……神族……」
確かに彼女から感じるのは魔の空気、瘴気といった禍々しい類のものではない。
どこまでも清らかで、美しく、それでいて威圧感に満ちあふれた神聖な空気だった。
「さて、じゃあ、簡単に説明して差し上げましょう。要はあなた方三姉妹のセカンドネーム……それがあなた方の特質を簡単に表していますわ」
「セカンドネーム?」
そういえば、自分の名前のことながらあまり気にしたことはない。
「国にもよりますが、中央大陸の場合、ファーストネームが個人名、セカンドネームが一族、家系の名であることが殆どですが、まれに三つ以上の細かく長い名前の方がいます」
「それぐらいは解る、そんなことから説明しなくてもいい。要は三つの名前の場合、二番目の名は身……」
「ええ、身分、階級、地位などを表すものですわね」
例えばクリア王国の場合、ダイヤの『クリア』は王族を、エランの『フェル』は宮廷魔術師を意味するものだ。
称号と呼んでもいい。
現在、クリア王国でクリアを名乗れるのは、女王と王女と王子を除けば、ルーファスことゴールディとダイヤの二人だけだ。
これはエンジェリック家が最高位の公爵家であり、限りなく王族に近い、あるいは王族の流れを汲むからである。
「その理屈でいくとあなた達のセカンドネームは、貴族を意味する言葉か、父親の称号……職種を意味する宮廷魔術師か、錬金術師を意味するものになるはず……けれど、どれも違う。というより、三人とも違うものになる理由の説明がつかない」
「そのとおりだ……だから、私はてっきり、母方の家族名か、称号だと……」
「ほぼ正解です。あなたの妹のクロスティーナのセカンドネーム……カレンは、大地教の最高司祭にだけ与えられる称号です」
「……大地教か……」
嫌な言葉、単語だった。
大地教と聞くと、自分を捨てた女、叔母、クロスの母であるアースガイアを思い出さずにはいられないから……。
血縁上の父も母も縁遠き存在、別にいまでも激しく憎んだり恨んだりしているわけでもない……どうでもいい存在なのだ。
そう思っているはずなのに、あの二人を思い出す存在は、単語を聞くのも嫌だと思ってしまう。
「アースガイア……あの女の称号をクロスは名乗っているのか……」
おそらく、タナトスと同じように無自覚に、母親の称号だと知らずに名乗っているに違いなかった。
なぜなら、クロスはタナトス以上に、実の母親であるアースガイアを嫌っているのだから。
「ライブは花の女神を崇める辺境の小さな宗教のもの……おそらく彼女の母親がその一族なり宗教の出なのでしょう。ちなみに言葉の意味は『生』、生きるという意味です」
タナトスは自分に抱きついたままの妹にちらりと視線を向ける。
生、生きる、前向きで明るい言葉、フローラにはよく似合っているように思えた。
「そして、あなたのデットは……『死』を意味します」
「……死……死か……フローラとは対極の言葉だな……」
暗く残酷で不吉な名……自分には相応しい。
タナトスは自虐的な笑みを口元に浮かべた。
「もっと詳しく説明するにはあなたの生まれる以前の因縁というか、母親のことを説明する必要があるのだけど……聞きたいかしら?」
「……持って回った言い方だな……構わない、知っていることを全てを話せ……」
別に血縁上の母親のことになど興味はない。
「あなたは自分の母親のことをどこまで知っているのかしら?」
「故人だということ、姉妹で男を取り合った馬鹿の片割れ……」
「ふふ……馬鹿は酷いわね。ネイキットとアースガイア、どちらが悪いか、横恋慕だったのかあなたは知らないのでしょう?」
「知らないから、まとめて馬鹿だと言った……どちらが悪いも何もない、どちらも悪い、どちらも馬鹿だ……」
くだらない恋愛劇に、愛憎劇、その産物が自分だ。
その辺の詳しい事情など知りたいとも思わない。
知って何が変わる? 
母が被害者で叔母が加害者と知り、叔母への憎しみを深めるか?
悪いのは母の方だったと知り、叔母を許したり哀れむのか?
どっちが悪くても構わない、何も変わらない。
どうでもいいことなのだ、今更……。
「そうね、じゃあ、その辺の恋愛ドラマは割愛するわね。あなた、昼メロ好きじゃなさそうだしね」
「昼メロ?」
「ううん、こっちの話よ。では、あなたに関わりある事実だけを教えてあげるわ」
「頼む……」
「まあ、いつまでも立ち話も何だから、座って座って」
リンネが指を鳴らすと、突然、空から『コタツ』が降ってきた。
「こ、これは……」
「ただのテーブルよ。そう思いなさい……思ってくれないと、コレについて長ったらしい説明や講釈しちゃいますわよ?」
リンネはふふっと笑いながら言う。
実はその長ったらしい説明や講釈をしたいのではないかと思える笑顔だった。
「わ、解った……追求しない……」
「えっと、電気は形態バッテリーで……そうそう、ミカンは必須装備……」
リンネはコタツの周りで何か作業したかと思うと、コタツと同じく、黄色い果物を空から降らせる。
「さて、フローラさん、お願いがあるのですけど」
リンネは初めて存在を認めたかのように、タナトスに抱きついたままの若草色の髪の少女に視線を向けた。
「ふぇ? なんですの?」
「向こう……花畑の端に行って、歌って貰えないかしら? 私はこれからあなたのお姉様と二人きりでお話したいし……いつまでもこのままじゃお花さん達が可哀想でしょう?」
フローラは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの無邪気な笑顔を浮かべると、
「解りましたの」
花畑の端に向かって駈けていった。
「……お前、フローラの能力を……」
「ふふ……勿論知っていますわ。時は……歴史は何でも知っている。過去に限定するのなら、私に知らないことなどありませんわ」
どこか妖艶とも言える笑顔を浮かべると、リンネは古い書物をコタツの上に置く。
「えっと、どこのページだったかしら…………あ、ここですわね」
少し離れた所からフローラの歌声が聞こえてきた。
この世のものとは思えないほどの綺麗な歌声。
喜びと安らぎに満ちたどこまでも優しい歌声だった。
そして、奇跡が起きる。
枯れ果てたはずの花達が次々に蘇り、満開の花を咲かせたのだ。
「まさにフローラ(花の女神)……知っていますか? フローラというのはライブ、彼女の母親の出身の一族の崇める花の女神の名前でもあるのですよ」
「フローラは全てが私と対極だ……」
命を奪う死神と、命を与える女神。
血で汚れきった殺人者と、天使のように無邪気なお嬢様。
嫉妬したり、自分のように汚れてしまえなどと思ったことは一度だってない。
逆に、フローラにはどこまでも綺麗で、優しく、無邪気でいて欲しい。
汚れきってしまった自分の分も、綺麗でい続けて欲しかった。
「では、あなたと同じ名前の女神が居ることをご存知かしら?」
リンネはいきなり話を切り替える。
「何?」
「超古代神族……最古の死の女神タナトス。その死神とも呼ばれる女神を崇める異端中の異端の宗教の最高司祭があなたの母親よ」
リンネは書物のページを指さしながらそう告げた。












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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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